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2012年11月

2012.11.28

・ジーンゃ ジン・

笑。
時には 思う。

自分は とんでもない幸せな奴だ
ってことを。

完璧ではないけれど、
ひとを愛せるし、
愛されているだろうし。
笑。
他には 望むものはなんだろう?

両親が揃っていた時代よりは遙か 厳しい。
けれど、
別に餓死することもないし。
自分の足で年並に少し歩けるようになったし。

とにかく、
いいもんだ。
笑。

それに今までの歩みに いつも宝物が周囲に
転がって。
転がった。

昨日こっちに居る好きで好きで生姜ない友人に
実家に居る好きで好きで笑話ない友人の御話を。

笑。
「進」(ジン)って云うんだ 名前が。

私よりは 一個上。
同じ早生まれの真一個上だ。

退院してからの
十代に「上り詰めて」からの 初の友人。
同じ町の空気を吸う時間を日で計算出来そうな
仲だが、
私にとっては、
彼女は唯一の中国大陸に居るチャイニーズの「知己」だ。

笑。
所謂 こころの友って気取った名の 存在だ。

ジンは 外資系会社の白い襟の高収入新中国女性。
税務局に就職したかった彼女は
今度生まれ変わったら絶対公務員官僚になってやると。
笑。

いつも「優秀村」の彼女は 昔も今も私のことを
「お前は 本当にバカだ。

笑。」
だと。

笑。
そうね、小数点の置く場所は 微妙なもんだ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

親友のくせに、
父の死も死因も葬式も ジンには言わなかった。

あの頃、
ジンは就職したばかりでいつも精一杯のようだった。

あれから数年後、
二つ目の大きめな試練がやって来たときは、
さすが堪え難いもので潰れそうだった。

実家で寝込んだ私の部屋から母が ジンにSOSを。

「お前は 本当にバカだ。

笑。」
いつものセリフ。

「ティンティン、

恋人は 靴のようなものだ。
自分の足に合っているのか合わないのか、
君自身でしか分からないものだ。

相手の親に申し訳ないと?!

じゃ、君の親は?君自身は?

。。。。。。」

本音を言うと、
終始 ジンのことはクールだなと思う部分も。
多くの中国社会で必死に泳ぐ現代チャイニーズと
同じような現実的な心主だと思う時も。

けれど、
いつも熱弁をしながら感心してしまう
彼女の冷静。
それからあの本来はクソ真面目な位不器用だった
彼女の進歩。

私が院に入った年に 彼女が結婚した。
相手は眼鏡のかけた細身の顔白い公務員だった。

式は盛大なものだったらしき。
私は四十度の熱を出して他所の国にいて間に合わなかった。

悔やんで謝る度に冗句で返されたのは
「またやるから 大丈夫。

笑。」

しかし、
昨年の一番寒い時期に実家へ帰ったら、
車の中で彼女が呟いた。

「お前は 本当にバカだ。

笑。
お前のせいで 私は離婚が出来た。
式に出てくれなかったせいだ。。。」

「ごめん。。。」

「笑。

今更謝られても。」


ジンになにをして上げたらいいのかを
分からなくなった時に、
いつも朝鮮語放送の物真似をするのだ。

北のと 南のを。
同じ言語でも語気が微妙に違うから。

そうしたら、
あのジンがいつも、
笑い目で私を見て冷めた表情を装う。

「ティンティンのは 似てないけど、

努力賞だね。」

「笑。

義理堅いじゃ。」


笑。
車の運転をしながら、
時々憶い出すんだ。
二十数年の友情に 会って 膝対膝 
円卓で食事するのも貴重な回数だ。

ジンと私は 全く違う環境で生まれ育ち成長する。
価値観も人生観も感性も味の好みも服のセンスも。
笑。
ちっとも似てはいない。

でも なんでだろう。
こんなに居心地が佳くて会わなくても思い出すと
心強い存在だ。

震災のすぐ後、
ジンは狂ったように東北にいた私に何度も何度も
国際電話を。

余震が続くあの大地に繋がらなかった電波の向こう、
ジンの同僚達まで私の安否を。

それを全く知らなかった私は山梨へ帰って来たら、
何十通のメールと留守電が。
「一つのアルファベットでもいいから超大大至急連絡を。

君のお母ちゃんは個性的過ぎてこの私の手には負えない
ので、
自分の母ちゃんは自分で面倒を見るのが筋だろう。

。。。。。

笑。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

葉っぱが可哀想な位少なくなった大連の街角に
真冬の寒風が吹く夜台の汚いテーブルを真ん中に。

ふたりの地味な中学生のおんなの子、
四本のお箸で一杯の熱々のらーめんを譲り合って。

「はぁっ 美味しいっ!

笑。」

「ぅー ふ 本当っ。

笑。」

「って ちなみに ティンティンのゆめってなに?」

「教壇に立つことだ。

ぅ 寒いっ。
笑。」

「笑。

ふっ じゃぁ 将来 チョークをトラックの一車分を
買ってあげるょ らーめん代の分

利息をつけて。

ほっ 寒いっ。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「ねぇ これから どうすんの?

帰って来ないの? 大連に。」

「うん。
帰ってこない。

教壇に立って、
いつか 甲府で孤児院を 小さな孤児院を。」

「苦笑。

反対だ。

でも 助けるよ。


けど、
お前は 本当にバカだ。

笑。」



笑。
ジン。ゃ ジーン。


TinTin
201211281959
写真: ・ジーンゃ ジン・

笑。
時には 思う。

自分は とんでもない幸せな奴だ
ってことを。

完璧ではないけれど、
ひとを愛せるし、
愛されているだろうし。
笑。
他には 望むものはなんだろう?

両親が揃っていた時代よりは遙か 厳しい。
けれど、
別に餓死することもないし。
自分の足で年並に少し歩けるようになったし。

とにかく、
いいもんだ。
笑。

それに今までの歩みに いつも宝物が周囲に
転がって。
転がった。

昨日こっちに居る好きで好きで生姜ない友人に
実家に居る好きで好きで笑話ない友人の御話を。

笑。
「進」(ジン)って云うんだ 名前が。

私よりは 一個上。
同じ早生まれの真一個上だ。

退院してからの
十代に「上り詰めて」からの 初の友人。
同じ町の空気を吸う時間を日で計算出来そうな
仲だが、
私にとっては、
彼女は唯一の中国大陸に居るチャイニーズの「知己」だ。

笑。
所謂 こころの友って気取った名の 存在だ。

ジンは 外資系会社の白い襟の高収入新中国女性。
税務局に就職したかった彼女は
今度生まれ変わったら絶対公務員官僚になってやると。
笑。

いつも「優秀村」の彼女は 昔も今も私のことを
「お前は 本当にバカだ。

笑。」
だと。

笑。
そうね、小数点の置く場所は 微妙なもんだ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

親友のくせに、
父の死も死因も葬式も ジンには言わなかった。

あの頃、
ジンは就職したばかりでいつも精一杯のようだった。

あれから数年後、
二つ目の大きめな試練がやって来たときは、
さすが堪え難いもので潰れそうだった。

実家で寝込んだ私の部屋から母が ジンにSOSを。

「お前は 本当にバカだ。

笑。」
いつものセリフ。

「ティンティン、

恋人は 靴のようなものだ。
自分の足に合っているのか合わないのか、
君自身でしか分からないものだ。

相手の親に申し訳ないと?!

じゃ、君の親は?君自身は?

。。。。。。」

本音を言うと、
終始 ジンのことはクールだなと思う部分も。
多くの中国社会で必死に泳ぐ現代チャイニーズと
同じような現実的な心主だと思う時も。

けれど、
いつも熱弁をしながら感心してしまう
彼女の冷静。
それからあの本来はクソ真面目な位不器用だった
彼女の進歩。

私が院に入った年に 彼女が結婚した。
相手は眼鏡のかけた細身の顔白い公務員だった。

式は盛大なものだったらしき。
私は四十度の熱を出して他所の国にいて間に合わなかった。

悔やんで謝る度に冗句で返されたのは
「またやるから 大丈夫。

笑。」

しかし、
昨年の一番寒い時期に実家へ帰ったら、
車の中で彼女が呟いた。

「お前は 本当にバカだ。

笑。
お前のせいで 私は離婚が出来た。
式に出てくれなかったせいだ。。。」

「ごめん。。。」

「笑。

今更謝られても。」


ジンになにをして上げたらいいのかを
分からなくなった時に、
いつも朝鮮語放送の物真似をするのだ。

北のと 南のを。
同じ言語でも語気が微妙に違うから。

そうしたら、
あのジンがいつも、
笑い目で私を見て冷めた表情を装う。

「ティンティンのは 似てないけど、

努力賞だね。」

「笑。

義理堅いじゃ。」


笑。
車の運転をしながら、
時々憶い出すんだ。
二十数年の友情に 会って 膝対膝 
円卓で食事するのも貴重な回数だ。

ジンと私は 全く違う環境で生まれ育ち成長する。
価値観も人生観も感性も味の好みも服のセンスも。
笑。
ちっとも似てはいない。

でも なんでだろう。
こんなに居心地が佳くて会わなくても思い出すと
心強い存在だ。

震災のすぐ後、
ジンは狂ったように東北にいた私に何度も何度も
国際電話を。

余震が続くあの大地に繋がらなかった電波の向こう、
ジンの同僚達まで私の安否を。

それを全く知らなかった私は山梨へ帰って来たら、
何十通のメールと留守電が。
「一つのアルファベットでもいいから超大大至急連絡を。

君のお母ちゃんは個性的過ぎてこの私の手には負えない
ので、
自分の母ちゃんは自分で面倒を見るのが筋だろう。

。。。。。

笑。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

葉っぱが可哀想な位少なくなった大連の街角に
真冬の寒風が吹く夜台の汚いテーブルを真ん中に。

ふたりの地味な中学生のおんなの子、
四本のお箸で一杯の熱々のらーめんを譲り合って。

「はぁっ 美味しいっ!

笑。」

「ぅー ふ 本当っ。

笑。」

「って ちなみに ティンティンのゆめってなに?」

「教壇に立つことだ。

ぅ 寒いっ。
笑。」

「笑。

ふっ じゃぁ 将来 チョークをトラックの一車分を
買ってあげるょ らーめん代の分

利息をつけて。

ほっ 寒いっ。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「ねぇ これから どうすんの?

帰って来ないの? 大連に。」

「うん。
帰ってこない。

教壇に立って、
いつか 甲府で孤児院を 小さな孤児院を。」

「苦笑。

反対だ。

でも 助けるよ。


けど、
お前は 本当にバカだ。

笑。」



笑。
ジン。ゃ ジーン。


TinTin
201211281959

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2012.11.27

・水色の図書館・

笑。
建物の色は 別にそんなカラーではないようだ。

しかし、
なんだか そういう気分にはなる。
笑。

甲府駅の北口に出来た新しい図書館を暖かい目で
見てた訳ではなかった。
何故車社会の山梨にこんなことを為さるのか
さっぱり分からないと。
思っていた。

OPENした日の午後 雨だった。
それでも多くの人々は楽しみにわざわざ見てきた
らしい。

仕事で何度か通ったが、
やっと行けれたのは 少し日が経った。

笑。
なんだか 佳かった。

メイプルの刺繍を胸元にする後輩がいっぱい居て。
それから色んな学校の制服君たちも。

白い眉のおじ様や四時半頃になると急いで帰ろう
とする若い母たち。

頬笑んで個展を観に来るおば様と二三歳模様の孫
らしき人物。

真面目な笑顔で親身に働くボランティア。

歩いていた私に駐車券を出してくれようとする
図書館員。

読み切れない新聞たちやテレビ朝日のロビーより
明るいお手洗い達。

全てが 快適。
笑。
だった。

笑。
何事もそう。
賛否両論。

山梨の県立美術館の「種を撒きっぱなしされる方」も、
最初は税金の無駄遣いという「評価」が多かったようだ
が、
今となって、
逆に本当にそれらのお陰で信州からも東京からも
あちらこちらから観光の一つにもなる位の話題性を持つ
甲斐の一つの見所である。

笑。
なら、それでいいじゃないか。
と思い始めた周囲が。

本や新聞がどんどん売れなくなってきた時代を経験する
私自身にとって、
あの歩いて行ける図書館は本当に有り難い存在だ。

国を出るようになってから、
よく思うことの一つ。

やはり中国の大陸よりは、
欧米先進国及び日本のほうが遙か立体的に学問や情報を
手軽に触れることが出来る。

図書館や資料館、
知りたければ知れるチャンスはいくらでもある。

ひとは新しいものを知る時に脳が喜ぶ。
海馬君が頬笑むとより豊な日々を送ることが出来る。

勉強が苦だと思ったら、
好きなことを見つけてればそれを遊びだと思って深堀を
すれば楽しいのじゃ。
笑。

ブラブラ町風景を見ながら「徘徊」する休憩タイム。
笑。
今日も 明日も 明後日も
ちっと あの水色の図書館へ
ゆこうかぁ 

笑。

「山日の陰謀」説を頷きながら。
笑。


てぃんてぃん
201211271315
写真: ・水色の図書館・

笑。
建物の色は 別にそんなカラーではないようだ。

しかし、
なんだか そういう気分にはなる。
笑。

甲府駅の北口に出来た新しい図書館を暖かい目で
見てた訳ではなかった。
何故車社会の山梨にこんなことを為さるのか
さっぱり分からないと。
思っていた。

OPENした日の午後 雨だった。
それでも多くの人々は楽しみにわざわざ見てきた
らしい。

仕事で何度か通ったが、
やっと行けれたのは 少し日が経った。

笑。
なんだか 佳かった。

メイプルの刺繍を胸元にする後輩がいっぱい居て。
それから色んな学校の制服君たちも。

白い眉のおじ様や四時半頃になると急いで帰ろう
とする若い母たち。

頬笑んで個展を観に来るおば様と二三歳模様の孫
らしき人物。

真面目な笑顔で親身に働くボランティア。

歩いていた私に駐車券を出してくれようとする
図書館員。

読み切れない新聞たちやテレビ朝日のロビーより
明るいお手洗い達。

全てが 快適。
笑。
だった。

笑。
何事もそう。
賛否両論。

山梨の県立美術館の「種を撒きっぱなしされる方」も、
最初は税金の無駄遣いという「評価」が多かったようだ
が、
今となって、
逆に本当にそれらのお陰で信州からも東京からも
あちらこちらから観光の一つにもなる位の話題性を持つ
甲斐の一つの見所である。

笑。
なら、それでいいじゃないか。
と思い始めた周囲が。

本や新聞がどんどん売れなくなってきた時代を経験する
私自身にとって、
あの歩いて行ける図書館は本当に有り難い存在だ。

国を出るようになってから、
よく思うことの一つ。

やはり中国の大陸よりは、
欧米先進国及び日本のほうが遙か立体的に学問や情報を
手軽に触れることが出来る。

図書館や資料館、
知りたければ知れるチャンスはいくらでもある。

ひとは新しいものを知る時に脳が喜ぶ。
海馬君が頬笑むとより豊な日々を送ることが出来る。

勉強が苦だと思ったら、
好きなことを見つけてればそれを遊びだと思って深堀を
すれば楽しいのじゃ。
笑。

ブラブラ町風景を見ながら「徘徊」する休憩タイム。
笑。
今日も 明日も 明後日も
ちっと あの水色の図書館へ
ゆこうかぁ 
。
笑。

「山日の陰謀」説を頷きながら。
笑。


てぃんてぃん
201211271315

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2012.11.26

・愛随雨下・

笑。
外人の割には 「愛」という文字を口に出すことが
少ない。

けれど、
この「愛随雨下」という言葉には なんだか弱くて。
笑。
雨の苦手な母に 昔から
「Mama  雨の日だけ

天と地が繋がってる。

ひととひとも 繋がってる。

笑。
それから、
こころと こころも。」

そうしたら、
母が頬笑んで
「なるほどぉ。」

と云う。

家族は いつもバラバラ。
昔から。

今は大人になって少しずつ解ってきたのは、
母の寂しさや沢山の無念。

笑。
それから ひとりの女性の精一杯な頑張り。


「ねぇ Mama

今日 山梨は 雨だったさ。」

「笑。

君の好きな。。。。。」


笑。
そう わたしの好きな。


てぃんてぃん
201211262152
写真: ・愛随雨下・

笑。
外人の割には 「愛」という文字を口に出すことが
少ない。

けれど、
この「愛随雨下」という言葉には なんだか弱くて。
笑。

雨の苦手な母に 昔から
「Mama   雨の日だけ

天と地が繋がってる。

ひととひとも 繋がってる。

笑。
それから、
こころと こころも。」

そうしたら、
母が頬笑んで
「なるほどぉ。」

と云う。

家族は いつもバラバラ。
昔から。

今は大人になって少しずつ解ってきたのは、
母の寂しさや沢山の無念。

笑。
それから ひとりの女性の精一杯な頑張り。


「ねぇ Mama

今日 山梨は 雨だったさ。」

「笑。

君の好きな。。。。。」


笑。
そう わたしの好きな。


てぃんてぃん
201211262152

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2012.11.24

・好朋友・
(訳/仲良し)

笑。
会社から駅まで歩いて四十分。

暑くて。
笑。
思わず「暖かいっ」と独り言を。

擦れ違ったひとがそれを聴いて頬笑んだ。
「ね 暑いっ。

笑。」

笑。
ただそれだけで、
佳い週末だ
と思った。

笑。
そうね、
日本のこういうとこも好きだね。
欧州の田舎町と似るような知らないひとでも
目が合ったら

「どうも。

笑。」
みたいなとこ。


幼い頃は身体が脆かったお陰で小学校二年まで病院に
お世話になりっぱなしだった。

人生の最初の「好朋友」は点滴の上手な白衣姫
や同じフロアの「病友」達だった。
笑。
恐らく。

幼稚園も一週間しか経験していなかった私は、
小学校のキャンパスに入ると
いつもはみ出しもん
だった。

一匹ねこ年のいぬみないな生き物で、
(気まぐれなわんこのような)
どのグループにも「所属」しなかった。
笑。
おまけにMy name通りの「常習的」な転校生
「転々(てんてん)」として
いた
訳だ。

時には先生に向って
「それは 先生のほうが適切ではないと思いますが。。。」

時には情報屋のようなクラスメートに向って
「そう思ったら そう本人に向って言うべきではないか。。。」

と。
笑。
だった訳だ。

その下らん冷たさの割に、
どこへ引っ越ししても必ず寝なくても、
クラス全員に新年カードを書いて送る。

しかし、
長い間こころの底から病院生活のほうが本当に好き
だった。

何故なら、
病朋の人間関係のほうが遙かシンプルで暖かいもの
だったからだ。


笑。
多くのひとは国籍関係無くよく口にする「友論」の一つ。
「大人になってからの友情は純粋ではない。

いつも利害関係が絡んでいる。」
と。

笑。
本当かな?と疑問を。

本音を言うと、
私のこころの友は一人の幼馴染み以外はみんなが大人友。

たまには大失敗もするけれど、
年をとると同時に 私も悪口や愚痴を言うことを覚えた。
笑。
ただ、
変わらないのは「その本人の前で」も言える同じ文脈を。


一人っ子で一人娘の三十五歳。
年からいうと いい大人だ。
笑。

持ってる宝物はなにか?って聞かれると、
「好朋友」だって 答える。

友達というものは 自分で選んで大切に向き合ってゆく
生きる仲間。
ひととして好きで尊敬や理解の有るその仲間を譬え一瞬
だけでも一生の「大事」になる。

二度と会うことの無い相手でも、
毎週必ず一緒に笑ってしわを寄せてまた馬鹿を言い合える
相手でも、
愛しくて。

笑。

恋人でもあるまいし、
だから べたべたせん。

けれど、
こころの中にいつも居る。
笑。


茶iinaを開いてからもずっと考えてきた。
考えさせられてきた。
やはり あの七つまでの記憶の中の病院「天国」は、
もう 私の歴史だ。

笑。
それでも、
これからも 譬え失敗が沢山やってきても、
自分の目だけを信じて宝探ししようと。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

てっ 佳い天気
だったぁ。
今日も。

笑。


てぃんてぃん
平成二十四年十一月二十四日
写真: ・好朋友・
(訳/仲良し)

笑。
会社から駅まで歩いて四十分。

暑くて。
笑。
思わず「暖かいっ」と独り言を。

擦れ違ったひとがそれを聴いて頬笑んだ。
「ね 暑いっ。

笑。」

笑。
ただそれだけで、
佳い週末だ
と思った。

笑。
そうね、
日本のこういうとこも好きだね。
欧州の田舎町と似るような知らないひとでも
目が合ったら

「どうも。

笑。」
みたいなとこ。


幼い頃は身体が脆かったお陰で小学校二年まで病院に
お世話になりっぱなしだった。

人生の最初の「好朋友」は点滴の上手な白衣姫
や同じフロアの「病友」達だった。
笑。
恐らく。

幼稚園も一週間しか経験していなかった私は、
小学校のキャンパスに入ると
いつもはみ出しもん
だった。

一匹ねこ年のいぬみないな生き物で、
(気まぐれなわんこのような)
どのグループにも「所属」しなかった。
笑。
おまけにMy name通りの「常習的」な転校生
「転々(てんてん)」として
いた
訳だ。

時には先生に向って
「それは 先生のほうが適切ではないと思いますが。。。」

時には情報屋のようなクラスメートに向って
「そう思ったら そう本人に向って言うべきではないか。。。」

と。
笑。
だった訳だ。

その下らん冷たさの割に、
どこへ引っ越ししても必ず寝なくても、
クラス全員に新年カードを書いて送る。

しかし、
長い間こころの底から病院生活のほうが本当に好き
だった。

何故なら、
病朋の人間関係のほうが遙かシンプルで暖かいもの
だったからだ。


笑。
多くのひとは国籍関係無くよく口にする「友論」の一つ。
「大人になってからの友情は純粋ではない。

いつも利害関係が絡んでいる。」
と。

笑。
本当かな?と疑問を。

本音を言うと、
私のこころの友は一人の幼馴染み以外はみんなが大人友。

たまには大失敗もするけれど、
年をとると同時に 私も悪口や愚痴を言うことを覚えた。
笑。
ただ、
変わらないのは「その本人の前で」も言える同じ文脈を。


一人っ子で一人娘の三十五歳。
年からいうと いい大人だ。
笑。

持ってる宝物はなにか?って聞かれると、
「好朋友」だって 答える。

友達というものは 自分で選んで大切に向き合ってゆく
生きる仲間。
ひととして好きで尊敬や理解の有るその仲間を譬え一瞬
だけでも一生の「大事」になる。

二度と会うことの無い相手でも、
毎週必ず一緒に笑ってしわを寄せてまた馬鹿を言い合える
相手でも、
愛しくて。

笑。

恋人でもあるまいし、
だから べたべたせん。

けれど、
こころの中にいつも居る。
笑。


茶iinaを開いてからもずっと考えてきた。
考えさせられてきた。
やはり あの七つまでの記憶の中の病院「天国」は、
もう 私の歴史だ。

笑。
それでも、
これからも 譬え失敗が沢山やってきても、
自分の目だけを信じて宝探ししようと。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

てっ 佳い天気
だったぁ。
今日も。

笑。


てぃんてぃん
平成二十四年十一月二十四日

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2012.11.22

・駱駝の北京語・

笑。
知らないうちに「z」の世界へ「弟子入り」。
目が覚めたら十何時間寝てたことに気付き、
焦った。

「睡眠も 駱駝のように溜め込んでから器用に
使え回せるのね、
君って子が。
笑。」
実家なら、
きっと またそういじられるだろうね。
笑。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「あなんたは 北京語の先生?」

「笑。

いいえ、標準語の。」

「???

違うの?
標準語は北京語じゃないの?!」

北京語は 日本の江戸弁のようなもので、
官話ではない。」

「嘘!

びっくり顔。」

笑。
本当さ。

中国語は 北京とハルビンの言葉をベースにして
作られた新言語。
「普通語」と呼ばれる中国の唯一の標準語である。

今は政府承認の民族だけで56の民族のある中国大陸には
数千種類の方言が現存している。
多民族国家だからこそ、
国民同士のコミニュケーションのために「普通語」を
必修科目として定められ、
今や世界中の華人や中国語愛好家等の言語手段となって
いるのだ。

「漢語」とは、
漢民族の言葉という意味が本来の語源なので、
中国語のことは
「中文」とも言う。

笑。
なのだ。



「ティンティン?!

寝てる?
笑。」

「うん。。。z

笑。」


笑。


てぃんてぃん
平成二十四年十一月二十二日
写真: ・駱駝の北京語・

笑。
知らないうちに「z」の世界へ「弟子入り」。
目が覚めたら十何時間寝てたことに気付き、
焦った。

「睡眠も 駱駝のように溜め込んでから器用に
使え回せるのね、

君って子が。
笑。」
実家なら、
きっと またそういじられるだろうね。
笑。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「あなんたは 北京語の先生?」

「笑。

いいえ、標準語の。」

「???

違うの?
標準語は北京語じゃないの?!」

北京語は 日本の江戸弁のようなもので、
官話ではない。」

「嘘!

びっくり顔。」

笑。
本当さ。

中国語は 北京とハルビンの言葉をベースにして
作られた新言語。
「普通語」と呼ばれる中国の唯一の標準語である。

今は政府承認の民族だけで56の民族のある中国大陸には
数千種類の方言が現存している。
多民族国家だからこそ、
国民同士のコミニュケーションのために「普通語」を
必修科目として定められ、
今や世界中の華人や中国語愛好家等の言語手段となって
いるのだ。

「漢語」とは、
漢民族の言葉という意味が本来の語源なので、
中国語のことは
「中文」とも言う。

笑。
なのだ。



「ティンティン?!

寝てる?
笑。」

「うん。。。z

笑。」


笑。


てぃんてぃん
平成二十四年十一月二十二日

| コメント (0)

2012.11.19

・茶朋・

「笑。

優雅かっ?」

「いいえ。

笑。」

「笑。

暇かっ?」

「いいえ。

笑。」


「不安かっ?」

「笑。

いいえ。」


動中の工夫は 静中に勝る 百千億倍


笑。
確かに 
一理ある 一理有る。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

落葉の音 うさ子の音 

笑。
畳の音。 
 
一服の 音。


笑。
てぃんてぃん
平成二十四年一一月一九日
写真: ・茶朋・

「笑。

優雅かっ?」

「いいえ。

笑。」

「笑。

暇かっ?」

「いいえ。

笑。」


「不安かっ?」

「笑。

いいえ。」


動中の工夫は 静中に勝る 百千億倍
。

笑。
確かに 
一理ある 一理有る。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

落葉の音 うさ子の音 

笑。
畳の音。 
 
一服の 音。


笑。
てぃんてぃん
平成二十四年一一月一九日

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2012.11.18

・「相撲 とるかっ?」・

笑。
お茶碗を洗いながら 憶い出し笑い。

いつも会う度に私にねばねばするのが必修科目の
友人の子に向って、

「相撲 取るかっ?」
と七割冗句で言ってたら、

「とる!っ ティンティン!」
と部屋に彼女の返事が響く。

笑。
「じゃー とるのじゃ!」
と真剣に型を両国に真似愚。

茶のソファに丁寧にあの小さなからだを押し置き、
それから、
真央ちゃんの小さな御鼻から細い紅色の鼻水が。。。

「ぎゃーーー@@@@@@@@!!」

土下座したかった位謝った。

大笑いがとまらなかった真央のお母ちゃん。

腹を抱えて大笑いするその時の茶仲間たち。


三十三歳だった私。
五歳になったばかりの友人の愛娘。

相撲を とった。

ぁぃゃ。。。。。
一生の。。。。。

「カセットテープ食べるぅ 食べるぅ。。。。。」


土下座。
てぃんてぃん
平成二十四年十一月十八日
写真: ・「相撲 とるかっ?」・

笑。
お茶碗を洗いながら 憶い出し笑い。

いつも会う度に私にねばねばするのが必修科目の
友人の子に向って、

「相撲 取るかっ?」
と七割冗句で言ってたら、

「とる!っ ティンティン!」
と部屋に彼女の返事が響く。

笑。
「じゃー とるのじゃ!」
と真剣に型を両国に真似愚。

茶のソファに丁寧にあの小さなからだを押し置き、
それから、
真央ちゃんの小さな御鼻から細い紅色の鼻水が。。。

「ぎゃーーー@@@@@@@@!!」

土下座したかった位謝った。

大笑いがとまらなかった真央のお母ちゃん。

腹を抱えて大笑いするその時の茶仲間たち。


三十三歳だった私。
五歳になったばかりの友人の愛娘。

相撲を とった。

ぁぃゃ。。。。。
一生の。。。。。

「カセットテープ食べるぅ 食べるぅ。。。。。」


土下座。
てぃんてぃん
平成二十四年十一月十八日

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2012.11.17

・隣のトロロ・

大学時代、
『笑の研究』を卒論にした。

笑。
人並みに頬笑みというものが大好きで。
その仕組みを知りたかったのだ。

けれど、
やり出すと苦しい物のほうが多かった。
言葉の壁というよりも、
学問的な物やこの敏感なこころ主という障碍で、
勉強をEnjoy出来なかった。

あれから暫くの何年か、
お笑いを観るのを避けてた。
何故なら、
芸人の苦しい創作段階を連想してしまうからだ。

しかし、
あの論文のお陰で長さん・いかりや長介という人物を
知って、
彼の「職人」人生に物凄く感動させられた訳だ。

「なんーてなっ。」
笑。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和52年中国大陸の海辺に生まれた私は、 
自分のことを「文革二世」という風に定位している。

両親は正真正銘な文革世代。
彼らは中国の建国以来の一番最初のチャイニーズ。
戦争を知らないが、
自然災害や飢餓、それからあの「十年動乱」という
とんでもない時代を経験したのである。

チベットのことにしろ、
台湾問題にしろ、
反日デモにしろ、
私はあの中国という大陸は何故こんなに沢山の問題を
背負いながらも
未だに分裂していないかということを考えた時に、
両親の世代のおじ様やおば様に深く深く感謝しなくては
と思っているのだ。

彼らは
「乱は 無用だ。」
と言葉で後ろ姿で痛々しく教えてくれて。

日本の多くの若者は国内外の政治や歴史に無関心である。
教壇に立っている分余計そう見えてしまうのかもしれない。
「平和木瓜」している愛教え子達の人生まで
「余計」な心配から
「大きなお世話」まで転換して行く今の自分のこころ。

隣国の中国も韓国も、
それから少し遠くにあるベトナムやかシンガポールとかも、
学力や能力が日々昇進してゆくアジアの多くの国々。
日本はそういう意味では先進国の割にはキャンパスの質は
どんどん下がってきた様子。

「知己知彼 百戦百勝」。
自分を知って相手を知り 百の戦に百の勝利。

人生は勝ち負けではない。
競争も場合によっては寂しいものである。
けれど、
ひとは生きるために戦うこともある。
他人と、
それから自分と。

日本の若者は 外を知らない。
関心も薄い。

まぁ、これも時代の流れかも。

けれど、そろそろ龍馬はまた現れてくれないかな。
笑。

希望は他人から頂けるものというよりは、
時には多少無理でも自分自身で作り出す物でもある。

笑。
雨がやんだら 明日も腰にこころにカイロを貼って、
胸を張って御散歩して新しい希望を口角に。

笑。
私も。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

隣の「とろろ」に 
温かい目で温かいこころで見守ってゆく。

乱は 無用だ。

笑。


てぃんてぃん
平成二十四年十一月十七日
写真: ・隣のトロロ・

大学時代、
『笑の研究』を卒論にした。

笑。
人並みに頬笑みというものが大好きで。
その仕組みを知りたかったのだ。

けれど、
やり出すと苦しい物のほうが多かった。
言葉の壁というよりも、
学問的な物やこの敏感なこころ主という障碍で、
勉強をEnjoy出来なかった。

あれから暫くの何年か、
お笑いを観るのを避けてた。
何故なら、
芸人の苦しい創作段階を連想してしまうからだ。

しかし、
あの論文のお陰で長さん・いかりや長介という人物を
知って、
彼の「職人」人生に物凄く感動させられた訳だ。

「なんーてなっ。」
笑。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和52年中国大陸の海辺に生まれた私は、 
自分のことを「文革二世」という風に定位している。

両親は正真正銘な文革世代。
彼らは中国の建国以来の一番最初のチャイニーズ。
戦争を知らないが、
自然災害や飢餓、それからあの「十年動乱」という
とんでもない時代を経験したのである。

チベットのことにしろ、
台湾問題にしろ、
反日デモにしろ、
私はあの中国という大陸は何故こんなに沢山の問題を
背負いながらも
未だに分裂していないかということを考えた時に、
両親の世代のおじ様やおば様に深く深く感謝しなくては
と思っているのだ。

彼らは
「乱は 無用だ。」
と言葉で後ろ姿で痛々しく教えてくれて。

日本の多くの若者は国内外の政治や歴史に無関心である。
教壇に立っている分余計そう見えてしまうのかもしれない。
「平和木瓜」している愛教え子達の人生まで
「余計」な心配から
「大きなお世話」まで転換して行く今の自分のこころ。

隣国の中国も韓国も、
それから少し遠くにあるベトナムやかシンガポールとかも、
学力や能力が日々昇進してゆくアジアの多くの国々。
日本はそういう意味では先進国の割にはキャンパスの質は
どんどん下がってきた様子。

「知己知彼 百戦百勝」。
自分を知って相手を知り 百の戦に百の勝利。

人生は勝ち負けではない。
競争も場合によっては寂しいものである。
けれど、
ひとは生きるために戦うこともある。
他人と、
それから自分と。

日本の若者は 外を知らない。
関心も薄い。

まぁ、これも時代の流れかも。

けれど、そろそろ龍馬はまた現れてくれないかな。
笑。

希望は他人から頂けるものというよりは、
時には多少無理でも自分自身で作り出す物でもある。

笑。
雨がやんだら 明日も腰にこころにカイロを貼って、
胸を張って御散歩して新しい希望を口角に。

笑。
私も。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

隣の「とろろ」に 
温かい目で温かいこころで見守ってゆく。

乱は 無用だ。

笑。


てぃんてぃん
平成二十四年十一月十七日

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2012.11.15

 ○But,「Bud」.○

笑。
母が来たら、一番最初に連れてて行きたい場所。

Bud。
私の唯一好きなジャズピアニスト鎌瀧旨弘先生の音楽城。

少し前までは、
ずっと不思議に思っていた。
何故鎌瀧先生があの夜の町に身を置いたのかと。

先生の奥様と親交のあることからBudへ出掛けるように。
夕飯を食べなくてもそこへ行って御茶一杯頂いて、
美味しいチョコを三口。
笑。

「ティンティン、

お前は車の凹みを直さないで放置してるのに、
あんな優雅なことを。。。?」

笑。
そうね。
少しアンバランスかもね。
私のバランスちゅいうものは。

But,
Budだよ。

笑。

昼はピアノ教室、
夜はBud。
両親と年齢相似の先生には音楽家としてのプライドも、
生きるセンスも、
全て指先にある。

口下手で一寸人見知りの先生はあのピアノで立派な会話を
してくれる。
こころの会話をしてくれる。

そのメロディ達で生きるヒントを得る。
やる気も。

笑。
久々とあの色気のある夜の道に出掛けて来た。
仕事と仕事の合間に。


どんな時代もどんな御時勢もどんな分野もどんなポジジョン
に置かれても、
今日は、
今日も精一杯生きたか?
今日も精一杯楽しんだか?
今日も真剣にしなやかに仕事という物事に向き合ったか?

それから、
大切に想うひとに
「本当に お疲れさまぁ。

笑。」
ってご挨拶をしたのか。

痛くて寂しい想いはもう御免だ!と思った時に、
じゃぁ 君は相手のために何をしたか?と

じゃぁ 相手の痛みを君はどの位解って上げられたかと。

笑。
思うわけさ。

茶iinaを作った年からBudへ行くようになった。
年に数えられるほどの歩数で。

白髪の先生がピアノを弾く後ろ姿に両親のことを憶い出す。

色んな人生がある。

有る。


深く御辞儀。
てぃんてぃん
平成二十四年十一月十五日

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2012.11.13

・中国語は 難しい!・

茶iina・中国語教室水曜日新初級クラス生徒募集

A-1クラス    10時am~12時   
A-2クラス    7時pm~9時pm  

月謝  5000円
(茶iina教室のプライベートレッスン生徒は無料参加可能)
入会金  0円
教材代  0円

内容  「0」から

「中国語は 難しい!」

「笑。
はい、否定はしません。」

まぁ、ご興味があれば、是非。
笑。

深く御辞儀。
謝謝。
笑。


有)音楽畑 代表取締役 
中国語標準語講師
茶iina・中国語教室オーナー講師
韓(ハン) ティンティン

御問い合わせ 055ー254ー5888
       090−4423ー7199

教室住所 山梨県甲府市湯村3ー3−42
     (常磐ホテルの向い側)
郵便番号 400−0073
写真: ・中国語は 難しい!・

茶iina・中国語教室水曜日新初級クラス生徒募集

A-1クラス    10時am~12時   
A-2クラス    7時pm~9時pm  

月謝  5000円
(茶iina教室のプライベートレッスン生徒は無料参加可能)

入会金  0円
教材代  0円

内容  「0」から

「中国語は 難しい!」

「笑。
はい、否定はしません。」

まぁ、ご興味があれば、是非。
笑。

深く御辞儀。
謝謝。
笑。


有)音楽畑 代表取締役 
中国語標準語講師
茶iina・中国語教室オーナー講師
韓(ハン) ティンティン

御問い合わせ 055ー254ー5888
       090−4423ー7199

教室住所 山梨県甲府市湯村3ー3−42
     (常磐ホテルの向い側)
郵便番号 400−0073

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2012.11.12

感謝状

・感謝状・

深く御辞儀。

昨日の2012年11月11日の「北で拾おう!」、
無事に拾えたのです。
マップ・『北で遊ぼう!』の一環として、
仲間達と楽しく過ごせたのです。

甲府市古府中町の美味しいパン屋さんピエヌーさんの
るり子ちゃんが一位優勝で、
コンビニ袋の二袋ということで全員の頬笑みと「凄い!」
という褒め言葉が賞品ということでした。

実に楽しくて、楽しかったのです。
夢中に拾って、
留学甲府の初心を思い出しながら、
実に感無量でした。

「ありがとう。」
「ごめん。」

「駱駝。」

「笑。

何故だ?ティンティン?
どうして、『駱駝』なの?」

笑。
ほれがね、ほれがね、
ほれが
ねぇ。。。。。

笑。
年月は 静かに流れて流れて、
無情だ。

周りは 温もって温もって、
温暖だ。
笑。

この町へ
来て 佳かっただよ。

昨日も 最初から最後まで、
そう思ってそう感じてそう感激してそう複雑だった。

もし ここは 米国なら、
ひとり一人しっかりと抱きしめて抱きしめたかっただよ。
笑。

頬に紅。

深く深く御辞儀。
水臭くて水臭いけれど、
本当に本当に有難う ありがとう。

また 遊ぼう!
笑。

礼!

てぃんてぃん
平成二十四年十一月十二日

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2012.11.10

明日 北で拾おう!

号外。     

        ・明日・北で拾おう!・
                      
          — 『北で遊ぼう!』第三弾
                ○山梨県甲府市北部○

       深く深く御辞儀。

日時     2012年11月11日(日)
 
       11時11分〜      (雨天中止)

       12時〜2時pm昼食懇親会(雨天決行) 
 
集合場所   武田神社

対象     どなたでも

時間     一時間弱 

内容     甲府北部(武田通り周辺)でのゴミ拾い

      終了後もし宜しければ 是非 
       ご一緒に御茶・珈琲でも頂こう
          (雨天決行)
       ご一緒にお昼でも食べよう
          (雨天決行)
    緑ヶ丘レストラン(緑ヶ丘公園附近)12時頃〜2時pm

想い    年に一度のこのような社会奉仕によって、
      地元の一角を少し見直そうと、
      それから小さな「有難う!」を行動に。

連絡    055ー254ー5888

      090ー4423ー7199


いつも有難う。
深く感謝しております。

マップ・『北で遊ぼう!』倶楽部作成委員会部員一同
合掌。
礼。

マップ・『北で遊ぼう!』倶楽部
歩長 韓(ハン)ティンティン
平成二十四年十一月一〇日
写真: 号外。     

        ・明日・北で拾おう!・
                      
          — 『北で遊ぼう!』第三弾
                ○山梨県甲府市北部○

       深く深く御辞儀。

日時     2012年11月11日(日)
 
       11時11分〜      (雨天中止)

       12時〜2時pm昼食懇親会(雨天決行) 
 
集合場所   武田神社

対象     どなたでも

時間     一時間弱 

内容     甲府北部(武田通り周辺)でのゴミ拾い

      終了後もし宜しければ 是非 
       ご一緒に御茶・珈琲でも頂こう
          (雨天決行)
       ご一緒にお昼でも食べよう
          (雨天決行)
    緑ヶ丘レストラン(緑ヶ丘公園附近)12時頃〜2時pm

想い    年に一度のこのような社会奉仕によって、
      地元の一角を少し見直そうと、
      それから小さな「有難う!」を行動に。

連絡    055ー254ー5888

      090ー4423ー7199


いつも有難う。
深く感謝しております。

マップ・『北で遊ぼう!』倶楽部作成委員会部員一同
合掌。
礼。

マップ・『北で遊ぼう!』倶楽部
歩長 韓(ハン)ティンティン
平成二十四年十一月一〇日

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2012.11.09

北で遊ぼう!

・北で遊ぼう!・
甲府という町へ来て、
富士山の見えるキャンパスに通い、
私の新生活が始まった。
笑。
ここで勉学し、
ここで働き、
ここでたくさんのことを経験して、
ここで転んだり 立ち上がったりする。
「まだまださ」
まだまださ。
それは 本音。
マップ・『北で遊ぼう!』をやり出した切欠は、
あまり愉快なものではなかった。
ある意味では、
自分の中の一つの確執みたいなもので、
正直 昨年の夏から今年の夏までには、
様々なことで悩んできた。
私は 甲府が好きだ。
それから 山梨のことも。
今までの人生の中で、
一番苦しい時期に過ごした場所ー柳屋・湯村温泉郷。
「ありがとう」と「ごめん」それから、
「駱駝」という三つの日本語単語しか解らなかった
私を、
あの家の人々が暖かく迎えてくれた。
昨年の大震災、
茶iinaで経験した。
その直後位から、
東北を通うようになった。
理由はシンプルなものだった。
四川省の大震災に現場救援経験があるから。
教育者だから。
行きたかったから。
一瞬、東北に身を置きたい想いもあった。
アカシヤの薫りに東北のひとの暖かさに。
それから、
親兄弟が流された子供たちのそばにそのまま残りたかった。
昨年の五月が過ぎ、
六月辺りからあの大地に活気が。
瓦礫の処理から仮設ながらの仕事風景が目に入り。
「頑張らなくちゃ!」
「生きて行かなくちゃ!」
失った大切なひと達のためにも そうしなくちゃ。
知らない顔をみると
「遠くから来てくれて、ありがとうなー!
ありがとうな。」
と感謝の言葉に頬に紅。
本当のとこじゃ、
配給されたおむすびを持ってきてくれたのも、
温かい温かい味噌スープを分けてくれたのも、
東北の被災民のひと達だった。
あれから、
こころが随分改造させられた。
父の死で母の苦労で私は両家の親族のことを
ずっと許せなくて、
心苦しかった。
でも、
あの海の見える小学校のキャンパスのど真ん中に立って、
気仙沼の海風に一深呼吸
「そろそろ 私も歩き出さなきゃ。
生きているのだから。」
と思った。
山梨に戻り、
こっちの町の様子を何となく気になり始めた。
元気が ない。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「たまには、
車のキーをお家に置いて、
のんびりと歩きながら、
自転車でゆっくり走りながら、
この町の四季を味わってみませんか?
地元に生まれ、
地元に育った子供達にも
「甲府北の出身で北が大好き」
「北ならなんでも知ってる」と胸を張って言って
もらいたい。
将来 この町で働きたい、
この町で暮らしたいと思ってもらいたい。」
そのような想いでマップ・『北で遊ぼう!』を
やり出したのである。
一軒一軒知らないお店に行ったり、
消費した上でいいなと思ったお店側に営業を掛けてみたり。
それから、
マップを作るということで多くの友人を巻き込んだ。
っていうか、
まだ本当に中途半端なことしか説明出来ていなかったとこ
から、
多くの町の人々がお力を貸してくれた。
最終的に昨年の12月12日に『北で遊ぼう!』第一弾が
スタート出来た。
六万部A4サイズのカラーマップが発行出来て、
同時にホームページも起動しました。
仲間達と一緒にそれぞれ努力し始めた結果。
県内や県外(東京・埼玉・群馬・信州・静岡)の色んな場所に
置かせて頂き、
あっという間一年分のマップが。。。
深く深く御辞儀。
マップ専門家はいません。
広告専門家も いません。
政治家を目指している者も、
自分っ家の商売に直接足しになるメンバーもいません。
草の根のような小さな結びで、
ほんの少しでもこの町の「温暖化」をこころから望み、
一歩一歩やって行こうと。
楽しくやって行こうと。
これから、第2弾。
深く御辞儀。
マップ・『北で遊ぼう!』制作委員会
歩長 韓(ハン) ティンティン
平成二十四年十一月九日

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2012.11.08

営業漫

・営業漫・

笑。
短大とあれからの進学との間の一年、
山梨で会社員を。

今でも就職した会社の先輩や同期と会ったり、
仲良くさせて頂いていることで物凄く心強く、
それから幸せ感をいっぱい感じているわけだ。

OL時代、
今とは違って、苦しい想いのほうが「満タン」で、
チョークと黒板のゆめに目が覚めた時のあの
がっかり感。
笑。
昨日のようだ。

当時の仕事の大半は営業のようなものだった。
笑。
下手だった。

何故わかっていてそうしたかって、
三つの理由があった。

一つには父の事業を継がなかった申し訳なさで
人生に一度くらいは親と同じ建築関係の現場で
生きてみたかったのだ。

または、進学には学費というものが必要だった
からだ。

三つ目は、十代半ばの時にあの大連のデパートで
見掛けたおじ様のこと
が忘れられなくて。
笑。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

大連に大商という山梨っていうと「岡島」みたいな
デパートがあって、
そこは昔から町の象徴的な存在で、
新しい物がいつもあることや品質の佳いものが多いことで、
市内からも郊外からも買い物しに来る人々で毎日好景気。

久々と実家へ戻り、
母と珍しくふたりでお出掛け。
大商へ行ってたら、
一番目に留まったは多くの商品が並ぶ棚たちじゃなくて、
ひとりの日本人の営業マンおじちゃんの姿だった。

下手な下手な中国語で
「美味しいです。

日本から来たフルーツゼリーです。

無添加です。」

「美味しいです。

我々の工場の職人さんが丹心を込めて作った美味しい
フルーツゼリーです。

美味しいです。
どうか、味見を為さってみては如何かでしょうか?

美味しいです。」

頬笑んで御辞儀をしたり、
通り掛かるお客さんたちに品格よく程良い接客で
一人っぼちで頑張っていた。

無料味見システムの無かった時代の大連の「岡島」。
多くのひとは避けて通ったり、
目を逸らしながら歩いたり、
そのおじちゃんのいる場所を中心に綺麗なπが働いた。

「美味しいです。」のトーンが変わらなかった。
どんなに誰も近付こうとしなくても、
変わらなかった。
おじちゃんの頬笑も。

母と相棒のようにこころが通じ合った、
同じタイミングであのおじちゃんの居るコーナへ歩き出して、
辿り着いた。
笑。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

年月が経って、
あれから 二十年。

美味しかった。
実に 美味しかったです。

笑。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「採用して下さい。

精一杯頑張りますので!」
会社の面接に
私はそう社長と部長に深く御辞儀をしました。

あの時のゼリーおじちゃんのことを思い出しながら、
そう胸を張って声を上げました。

ビザをとれない大学院に進学するために、
七年前にChina Bankから五百万の借金をして日本で
会社を作った。

「商売上手な中国人」として教壇に立ちながら、
月曜日から七曜日まで、
日々営業漫を書き続けておるような。
笑。

それから今は、
一生の趣味としての
『北で遊ぼう!」のマップ営業にも。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

会社にいた頃、
「ティンティン、

あんたに金持ちのパパが付いてるらしいじゃん!」

「笑。
父親は一人おりましたが、

亡くなりました。」
と人並みに丁寧に応えた。

茶iinaを作ってから、
「ティンティンさん、

聞いた話だけんど あんたにスポンサーが五人も。。。
一人当りから月に十五万も。。。
だから、
いつもバカンスに。。。」
数週間ぶりに教室のシャッターを開ける私にご親切な声が。

泥まみれの愛車と 東北でキズだらけになって帰ってきて、
おでこに 子供用の冷えピタが貼ってあった私の焼け顔に。

実に戸惑ったこころ。

笑。
馬鹿みたいに あれから 化粧もパパスもやめた。
泳ぐことも。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

笑。
ひとの一生って 面白いよ。

日本も 中国も アメリカも 科学館も
面白いよ。
笑。

大連の町のど真ん中に位置する大商で見掛けたあのゼリーおじちゃんも。

彼は 思ってもいなかったんだろうが、
彼は 一人のひとに 生きる強さを分けってくれた。

経営者の仕事は 営業。
営業の仕事は 断られること。

それでも ひとり一人の営業マンは皆がそれぞれ自分のπを
必死に描いている。

本音を云うと、
日本へ来てから 少しは苦労した。
でも、こんなに愛されている「外人」も幸せな生きもんだよ。

笑。
今は そう想っているさよ。


てぃんてぃん
201211081752

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2012.11.06

マップ・『北で遊ぼう!』イベント・北で拾おう!20121111・

・北で拾おう!・
          — 『北で遊ぼう!』第三弾
                ○山梨県甲府市北部○

 深く深く御辞儀。

日時     2012年11月11日(日) 
       11時11分〜約1時間(雨天中止)ー
       12時〜2時pm昼食懇親会(雨天決行) 
 
集合場所  武田神社

対象    どなたでも

時間    一時間弱 

内容    甲府北部のゴミをみんなで拾う自由活動

      終了後もし宜しければ 是非 
       ご一緒に御茶・珈琲でも頂こう
          (雨天決行)
       ご一緒にお昼でも食べよう
          (雨天決行)
    緑ヶ丘レストラン(緑ヶ丘公園附近)12時頃〜2時pm

想い    年に一度のこのような社会奉仕によって、
      地元の一角を少し見直そうと、
      それから小さな「有難う!」を行動に。

連絡    055ー254ー5888
      090ー4423ー7199


いつも有難う。
深く感謝しております。

マップ・『北で遊ぼう!』作成倶楽部部員一同
合掌。

マップ・『北で遊ぼう!』倶楽部
歩長 韓(ハン)ティンティン
平成二十四年十一月六日

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2012.11.04

・あの隣のエンジュ・

・あの隣のエンジュ・

「君は 大連の出身か。

笑。
僕と妻は何度か行ったよ。

非常にいい町でね、
また行きたいとふたりで話してますよ。」

聴かされて、少し複雑な想いになるお言葉。
笑。
けれど、どっかでほんの少しは 嬉しい。

そう、大連。
あの海に囲まれて、
毎年の五月必ずエンジュの薫りのする優雅な町。

大連。

生まれた家も転々と引っ越した家達も今の家も、
全て海から歩いて十分前後。
南国とは一味違ったような潮風に懐かしく。

平均標高29mしかない大連の町、
丘の多いことで自転車に雑技のように見えて見えて
仕方がない。
笑。
ほら、ピッタリの言い訳でしょ。

大連の港整備、初期はパリの真似をしたそうだ。
灯台をデザインして造っていた父のしっぽを勤め、
いろんな所に足跡を付けていた。
海馬君のポケットに。

ロシアと日本の植民地でもあったことに、
沢山の歴史は今となって非常にバランスよく人々の
こころに反映されている。

欧風建築は古き物とピカピカの物があって、
町だけを見ていると
「ここは どこ?」
というのも
漢字の読めない国々の方達のよく有る質問だ。

昔、
「ダーリニー」(遠い)という呼び方をしていたらしい、
大連のことを。

19世紀後半から20世紀前半まで、
飢餓や内乱などの様々な理由で山東半島から大量な移民が
海を渡ってきたことで、
大連の方言は実に楽しいメロディだ。
笑。

ちっと、ださい。
かも。
笑。
でも、甲州弁と似ていて、暖かみがあるさよ。

緯度は日本の仙台と相似することで、
仙台へ行った時に山草達にちょっと驚いた覚えも。

戦時旅順口では日本軍がかなり戦争らしいことはしていた
が、
大連市内に入るとひとを殺したり、
極端な略奪もあまり起きていなかった御話と同時に、
滿鉄を造り、
ガス・水道・排水などのインフラ整備に尽力してくれた
ことから、
郊外で畑を開拓する日本の農家の土地を愛す真剣さから、
市内で医者をやって貧しいチャイニーズにただで診病して
くれたり、
日本人ご夫人様達から石炭をもらったり、
白い白いお米を貰ったり、
沢山の学校や塾を設立されたり、
沢山佳い御話が源になって、
大連人の「反日」感情は薄い。

至る現在。

大連のひとは、
ワイシャツのことを 「wanxiazi」と謂う。

お餅のことを 「moji」と呼ぶ。

ガスのことを 「gasi」のまま。

笑。
大連のひとは、
「馬鹿野郎」って思ったら、

「bagayalu」って怒鳴る。

ごめん。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

父親の死から、
私は興味深い親族達に二度と会いたくないと思ってしまい、
父の十三回忌まであの町に対して強い嫌悪感を抱いていた。

昨年の四月、
気仙沼から仙台へ。
五月の東北道両側に咲くアカシアに
幼い頃の故郷を思い出させて頂いた。

ちんちん電車が走る大連。
昔の風景は一幕一幕。

青桐の葉っぱが メイプルの葉に似っていて
英和の葉。
笑。

それから、
隣のエンジュ。

日本で騒ぐメディア。
テレビ画面に熟知シーンが何度も何度も。
そんな時の大連も
生卵の一個も、
日の丸の一角を燃やす大連人も
居らんかったようだ。

福岡に近いことから、
福岡にお嫁に来る者も大連に移住するお嫁さんも珍しくない。

日本系企業は今も2000軒ほど。

日本人の幼稚園、
小学校・中学校。
それから、
老人ホームや病院。

日本人街に日本の居酒屋・スナック。
カラオケに寿司屋。

お好み焼きにもちゃんと「大阪風」と「広島風」がある。
ついでに
「大連風」も。
笑。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

こんな時期に生まれ故郷に深く御辞儀。

もしかすると これが初の礼かも。
この親不孝者。

笑。
この郷不孝者。

あの隣のエンジュに。

てぃんてぃん
201211042151

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2012.11.01

公平

・公平・

物心が付いてからつい最近までの
私の口癖の一つだった。

「アンフェア」。

理不尽なことに
「アンフェア。」

根も葉もないことを「評価」されることに
「アンフェア。」

それで 気が付いたら三十五個分の深秋を迎えて
しもった。

「笑。
ティンティン お前は 青臭い。」

「そうね 青臭い。
笑。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

日本へ来るまでにも 日本に世話になってからも、
日本以外の国や地域に放浪病が深刻化。

けど、
興味深いのは 日本以外の処では空港以外じゃ
「あなたは 中国人ですね。」
という「再確認」されたことがない。

笑。
本音を申すと、
普通に暮らしている分、
別に日々早朝から自分のパスポートのデザインを
吟味することもせんらぁっちゅのう。
面白い島国に来ちっまったなぁと思う存分さ。
笑。

だから余計、
周囲に居る「韓(ハン) ティンティン」という代名詞を
冠りながら白い米の大好きな私を
暖かく暖かく包まれてくれるひと達にこころはいつも
暴風雨。

だからこそ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「君は ここにいることを選んだんだから、
これらの試練は 只の付き物さ。」
恩師の卒業祝辞。

頬笑んで頷いて。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

この国で社会人になった。
やや遅目の。
長い長い学生生活を送りながらの。

観てきたのも 感じてきたのも、
中国人は日本が嫌い。

日本人も中国が苦手。

なのは多いとの御話。

この時期となって、
あのいつも台湾チャイニーズのように親日的な母親でさえ、
「君を日本に行かせたのは

間違いだった。」
と悔やんでいる。

私も悔しい。

昭和47年から沢山の留学生が日本にお世話になった。
昭和47年から沢山の留学生が中国にウルンルン滞在。

昭和47年から対中国ODA・民間人の有償無償援助は
沢山の中国人に生きる希望を与えてきた。
昭和47年から格差というメリットで日本の商人のお財布
を膨らませてきた。

戦後も戦前も、
この一衣帯水の隣国同士は面白い隣人付き合いをしてきた。
しかし、
今のこの時代となっても不透明な「沢山」が行き違いを
生み出して生み出して終焉が利かない。

情けない。

ODAを知らないチャイニーズは
「戦中 人を殺し、
謝りもせんで
和平時代になったらと思うと人の領島に唾を浸けたがる。」

中華思想を知らないニッポン人は
「中国人 気性が激しくてしつこい。

島は 鰹節工場の遺跡で俺たちの先人の食堂だった。

抑留の悲劇や空襲を知らないチャイニーズは
「戦後の日本は
衣食豊富 悩み無し。」

広島・長崎原発の後遺症を知らないチャイニーズ、
「あれのお陰で祖国が解放された。」

慰安婦と儒教説を知らないニッポン人は、
「弁償をしたじゃない。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝日 正午 夕日 

朝食 昼食 晩餐。

大切な者には「以心伝心」。
大事な大事には
「気を付けて行ってらっしゃい。」

遠く海の向こうも。
こっちも。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「アンフェア。」
を口に出すの やめた。

笑。
青臭そうにみえるから。

てぃんてぃん
201211011155

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